今に繋がる過去

ご訪問、ありがとうございます。

ちょっと人生振り返ってみました。

『有森しずく』が産まれた経緯など

自己紹介を兼ねて書いてみますね

何十年も経つので、ボロボロ~。

 

 

とってもおとなしい子供時代

 

『おとなしい』ってよく成績表にかかれました

その程度がね、これまたひどくて。

授業で当てられると泣き出す始末(;^_^A

たとえ発言しても

まわりの『聞こえませーん』でくじけちゃう

とにかく人前に出ない

後ろ、後ろへ…

って特に意識していた事はないんだけど

大勢の中にいるとひたすら目立たない。

それでもちゃんと友達は居て

その子も絵を描く子だったから

一緒に絵を描いたりしてね

その子とは転校しても手紙で続いてたな。

転校は小学3年生。

周りの子達の言葉遣いがキツク感じて

(それが普通な言い方だった、そこでは)

転校して暫く泣いていたらしい(記憶なし)

まあ、近所の子が強い子で

いろいろ揉まれました(´;ω;`)

それは中学まで続くのですが…

今から思うと、

ここでの経験が哲学や心理学なんかに

向かう動機のひとつになってるんですよね

唯一の誇れるもの

 

私のいた小学校では

クラスで『イラスト大会』とかいって

みんなが好きなように絵を描いてくる

そんな行事?がありました

その頃には少女漫画に出会っていたので

多分漫画絵を描いて出してたと(記憶なし)

ここで勉強は普通、体育はダメ、目立たない

おとなしい子が唯一人から賞賛されるんですよ

…でも、あんまり嬉しかった記憶はないけどね。

(というか、学校のことって記憶あんまないの…)

段々、自分の将来を考える年にもなってきて

思いついたのが『少女漫画家』

まだまだ『漫画家』への偏見のある時代

娘が選んだ道がコレ…。

当然、母はいい顔しなかったです

思わぬ反応は、父親でした

画材一式そろえて、誕生日でもなんでもないのに

買ってくれたんです!

誕生日もサンタもない家で育っていたので

すごく嬉しかったのです。

父も絵を描けるのですが

絵の道をあきらめて大工になった人なので

多分、嬉しかったんでしょうね

それから、ですね

本格的に『漫画を創る』方向にシフトしたのは。

 

当たり前のように描く日々

 

一応『漫画の描き方』なる本を買って読むも

基本的には自分の思い付きで描いてました

頭の中に原稿の完成系が見えるので

それを紙に落としていく…感じで。

中学までは自分としても行動範囲が狭いので

画材が手元にないんです

だから、たまたまクラス内で

シナリオ風に話を書いていた子がいたので

マネして書いてみたのです

で、それを一番の友達に読んでもらう。

そんなことを繰り返してました

だからといって、いい話が書けてたとは

思えませんが(;^_^A

(書けてたらプロになってるでしょ)

唯一の収穫?は

そのいくつかの話の中で作ったキャラの

「滴」(漢字だったと思う…)が

不思議と気に入ってて

後日、ペンネームを考えていた時に

思い出し、『有森滴』としたのです

以降、漫画はずっとコレで投稿しました

高校時代は画材屋さんに通い

本格的に原稿を描いて、送る生活をしていました

何かで読んだのですが

「プロになるには月一投稿するのが当たり前」

みたいなのが引っかかって

月一は無理でしたが

数か月に一度のペースで…と

自分に課してました

…今思うと、あんまり深く考えて

作品作れてなかったと。

高校は美術部でもあったので

そこで今描いてるようなものを

モチーフにしてましたね

 

他の人が認めてくれた部分

 

私は最初に書いた通り、

すごく目立たなくて特徴のない子でした

当然、先生から眼をかけられることはなく

私自身も先生には何も期待していなかったです

そんな私でも

認めてくれた先生が一人だけいました

中学一年生の時の担任の先生が

国語と美術の先生で

私の絵を褒めてくれたのです

美術の時間は普通にやり過ごしていたので

特に褒められるようなことはなくて。

逆にとても驚きました。

初めて先生という存在に褒められた

…それくらいの経験だったなー。

だけど、それに報いようとか

そーゆーのはなかったけどね(;^_^A

ただ、ただ、好きだから。

描き続けていただけ。

それでも、振り返るとスゴイことなのだと

今は思える。

 

あの頃が今の下地になっている

 

私の学生生活は『勉強と創作』が

当たり前のことになってました

音楽や漫画、小説を読むのは楽しみであって

描くことは…お仕事?というのか

本当に自分にとっては

すごく当たり前の感覚でした

自分の頭に浮かんでくるストーリーや

場面や情景…

描きださない事には消えないもの。

それは今でも変わりません

子育てにどっぷり浸かっていても

虚しさがどっと迫ってくる

無性に描きたくなることもありました

子供時代にあれだけ毎日描いていたのだから

体に習慣として刷り込まれてしまったのかも

そう思うこともあります

それでも、『描きたい』と怒りのような

欲求が起こる声には逆らえない

徐々に子育てと並行して

動き始めました

最初はブログと小説から…

そのうち、やっぱり絵でないと表現できなくて

再び漫画絵を描くことを

自分に許可するまで

グルグル考えました

そして、作品を出していくのなら

作家名も…どうするか決めなくては。

最終的にはやはりなじみのある

『有森しずく』を使うことに決めました。

第2の有森姓としての活動ってことで

『しずく』をひらがなにかえて。

それは2014年の話です。

そこからドンドンやりたいことを

やりたいままに

エブリスタ内で。

まずは自分の持っているものを

再度出し切ってから…

最後に…

 

小学校、中学、高校あたりのことを

書いてみました

『おとなしい子』ですが

『ただおとなしいだけの子』なんて

この世にはいないですよね

どんな人も話してみれば

その人の内側の世界があって

たまたま外界では『おとなしい』になってしまう

それだけのことだと思うのです

そんなことも併せて知ってもらえたら…

とも思います。

 

 

お読みくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

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