ご訪問、ありがとうございます。
作品には自分がイヤでも出る…とわかっているだけに
ちょっと疑問に思っていたことがありました。
そのことについて書いてみますね。
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いつぞやから作品を描く前は
集中できるよう、雑念を払ってから
自分の心の状態を落ち着けてから…
そう思うようになりました。
自分なりのルーティンを作りやってましたが
私生活でわりとショックなことがあり、
それに伴う実務などで翻弄されつつも
描ける時は描くことにしていたのです。
ただ、日常的に気がかりなことがある状態なので
「こんな状態で描いてもいいんだろうか?」という
疑問が出てきたんです。
作品には自分で意識できないけど
その時の状態がうっすら作品に込められてしまうのではないかと
思っていたからなんですね。
目には見えないけど、感じるものといいますか。
作品の題材とは関係なく、漏れてくる感情のような
感覚のようなものが伝わってしまうのではないかと。
一応、自作で見る人をほっとさせたい、みたいな気持ちは持っているので
ネガティブなものが伝わってしまうのはよくないだろう、と考えたわけです。
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で、しばらくアクリル作業から離れていたのですが。
そうこうするうちに、『描きたいな』という気持ちが出てきたのです。
その時に、「自分は創作する時はこの気持ちだけで描いてるな」と
いうことに気付いたのです。
投稿していた時も、
エブリスタさんに上げてある小説や漫画もどきも、
『描きたい!』ってだけで
さほどこねくり回すことなく、
ほぼ勢いと気持ちだけで描きあげていました。
…もしかして、作品を創る原動力って
これだけでいいのかもしれない…。
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ネガティブとか、浄化するとか。
そういう言葉が増えていると思いますが
多くの人は『それを持っていてはいけない』みたいな
感覚で聞いているんじゃないでしょうか。
実際、私もそうでした。
特に反応してしまう分野みたいなのは
その人それぞれで違うとは思うけどね。
で、ちょっとご相談した方に言われたんですが
「ネガティブもただのエネルギー。
それが悪いとかいいとか、そういうことじゃない」と。
あ、そりゃ、そうだなと目から鱗な気分でした。
頭ではわかっているけど、何かとネガティブは
悪者扱いされてますから…
違うよ、と言われないと忘れてしまうらしい(;^_^A
よくよく考えていくと
感動する作品って必ずネガティブな部分もあるし、
そこが良かったりするじゃないですか。
あと、画家だとムンク!
精神疾患を持ちつつも絵画を描いて…
いわゆるネガティブな部分を表現して
後世に作品が残っているしね。
自分の作品の核部分を見ると
結構ネガティブな部分を表現したいのもあったりするし。
…んん?案外、作品創りにはネガティブな部分が
必要なのかもしれない…
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昨今、よく見るフレーズが
「見た人の癒しになれば」
「ほっと出来るような」…とかね。
作者側の希望が描かれて作品があがってたりしますよね。
確かに、私もそう思います。
なにか、その人に変化が起きてくれたら
創作作品を創った甲斐があったというものです。
…ただ、これもやけにポジティブ寄り、癒し寄りじゃないですか。
なんか、…うそくさ…(;^_^A
とある日から感じるようになりました。
(個人的な意見ですからー。お間違えのないように!
もうちょっとオブラートにくるめる文才があればよかったんですが
どうやらないらしい(笑))
考えてみたら、興味ない場合は『無反応』なんですよ。
だからポジティブでも、ネガティブでもなんらかの反応をするってことは
『興味あり』になるわけで、
作品としてはある意味成功しているのでは…。
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などを加味して。
自分のいまいちな現状のままで
作品を描くことを考えてみる。
…私の場合、その心情をそのまま絵にはしないんだし、
そういう気持ちを抱えたままでも
別にそれはそれでいいんじゃないのか?
『その時』のリアルタイムな心情が含まれた
ある意味レアな作品(原画)といえなくもない…。
酸いも甘いも、ネガティブもポジティブも。
なーんかごったまぜに抱え込んでいるのが
我々ヒト科の生物ですもん。
その人の生身の部分が垣間見えた方が
魅力的ではあるよね。
今ではそんな結論になっております。
お読みくださり、ありがとうございます。