ご訪問、ありがとうございます。
当たり前の事なんだけど、再度認識させられたというか、
したことがあるので、ちょっと書いてみますね。
例えば…なんかのお誘いを受けたんだけど
何となく体調がいまいちだったり、気乗りしない時。
そんな時、どうしますか?
行きたいのであれば、即決で返事するから迷う事ないですよね。
でも、迷っちゃって…なんか決められないって時。
考えた末に、無理無理行って「案外よかった」となることも
ありますけど…。
今日話題にするのは、『考えに考えた末にやめた場合』です。
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まず『やめる』と決めた時。
気持ち的に「ほっとした」のなら、
何か行きたくなかった理由があったことがわかりますよね。
それを自覚するのは大切な事なのでいいのですが…。
この時、時間差はあれど『罪悪感や申し訳なさ』も
もれなくついてくると思うんです。
どうでしょうか?
私はそうなんですけど…(;^_^A
スッコーン!と何の迷いもなく決める、というのは幻で。
結構グダグダ考えていたりしませんか?
決めたんだけど、頭の中では言い訳めいたこと言ってたりしてね。
誰にも責められてないのに
「こういうふうなんだから、いいよね、いいよね??」みたいに(笑)
なんだけど、決める時って「ほっとすること」に気を取られて
この後から湧いてくるいわゆる負の感情については
考えもしないんじゃないでしょうか。
後からぐだ~と出てくる罪悪感がイヤで
結局、前言撤回しちゃったり…なんてことも無きにしも非ずなのでは?
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この自分の取った行動に対する『いい感情と悪い感情』
どっちを選んでも出てくるものなんですよね。
『参加する』と決めたのなら、『楽しい』『行くのが面倒』とか。
『やめる』と決めたのなら、『行かなくてホッとした』『休んで悪いな』とか。
こんなふうに、まるでセットになって気持ちって出てきませんか?
だから、極論を言えば、どっち選んでも大差ないのかも…(;’∀’)
でも、『やめる』と決めた時は
『ホッとする』ことが重要になってしまって
罪悪感とかをより大きなものに感じてしまうのかも…。
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どちらを選ぶにしても
自分に湧いてくる気持ちに対して責任を持つ。
この覚悟が必要なんだな…。
『やめる』と決めた時点で、その後に感じることは
いい感情も悪い感情もちゃんと引き受ける。
自然発生するのが感情なので、そこをどうこうしない。
感じて自覚するだけでOK…なのかも。
とはいっても(;’∀’)
感情に振り回されることもありますが
それはそれでいいのかも。
そこで何を『学ぶのか(受け取るのか)』ってことですよね。
結構、無意識に前と比較して行動を修正していたりするので
いわゆる失敗も巡り巡れば関係ないよね。
『あるのは経験だけ』
とも言いますし。
と、ちょっとそんなことを考えてみました。
お読みくださり、ありがとうございます。