いいも悪いも何もなし。

ご訪問、ありがとうございます。

当たり前の事なんだけど、再度認識させられたというか、

したことがあるので、ちょっと書いてみますね。

例えば…なんかのお誘いを受けたんだけど

何となく体調がいまいちだったり、気乗りしない時。

そんな時、どうしますか?

行きたいのであれば、即決で返事するから迷う事ないですよね。

でも、迷っちゃって…なんか決められないって時。

考えた末に、無理無理行って「案外よかった」となることも

ありますけど…。

今日話題にするのは、『考えに考えた末にやめた場合』です。

*****

 

まず『やめる』と決めた時。

気持ち的に「ほっとした」のなら、

何か行きたくなかった理由があったことがわかりますよね。

それを自覚するのは大切な事なのでいいのですが…。

この時、時間差はあれど『罪悪感や申し訳なさ』も

もれなくついてくると思うんです。

どうでしょうか?

私はそうなんですけど…(;^_^A

スッコーン!と何の迷いもなく決める、というのは幻で。

結構グダグダ考えていたりしませんか?

決めたんだけど、頭の中では言い訳めいたこと言ってたりしてね。

誰にも責められてないのに

「こういうふうなんだから、いいよね、いいよね??」みたいに(笑)

なんだけど、決める時って「ほっとすること」に気を取られて

この後から湧いてくるいわゆる負の感情については

考えもしないんじゃないでしょうか。

後からぐだ~と出てくる罪悪感がイヤで

結局、前言撤回しちゃったり…なんてことも無きにしも非ずなのでは?

*****

 

この自分の取った行動に対する『いい感情と悪い感情』

どっちを選んでも出てくるものなんですよね。

『参加する』と決めたのなら、『楽しい』『行くのが面倒』とか。

『やめる』と決めたのなら、『行かなくてホッとした』『休んで悪いな』とか。

こんなふうに、まるでセットになって気持ちって出てきませんか?

だから、極論を言えば、どっち選んでも大差ないのかも…(;’∀’)

でも、『やめる』と決めた時は

『ホッとする』ことが重要になってしまって

罪悪感とかをより大きなものに感じてしまうのかも…。

*****

 

どちらを選ぶにしても

自分に湧いてくる気持ちに対して責任を持つ。

この覚悟が必要なんだな…。

『やめる』と決めた時点で、その後に感じることは

いい感情も悪い感情もちゃんと引き受ける。

自然発生するのが感情なので、そこをどうこうしない。

感じて自覚するだけでOK…なのかも。

 

とはいっても(;’∀’)

感情に振り回されることもありますが

それはそれでいいのかも。

そこで何を『学ぶのか(受け取るのか)』ってことですよね。

結構、無意識に前と比較して行動を修正していたりするので

いわゆる失敗も巡り巡れば関係ないよね。

『あるのは経験だけ』

とも言いますし。

 

 

と、ちょっとそんなことを考えてみました。

 

お読みくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

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