ご訪問、ありがとうございます。
爽やか5月に似つかわしくないタイトルのような気が(汗)
ま、思いついた時が感じ時・考え時という主義?なので、思いついちゃったものはしょうがないってことにしています。
今の私って、娘としての立場と母親としての立場で物事を見ることが出来るんです。…だって、それなりの年齢だもんね(笑)
そういうわけで、娘ちゃんを見てると「んん?」と思うことがあるんですね。
妙に頑なな部分とか、なんか私と似たようなことしてるよ…とか(汗)
んで、自分のその頃を振り返ってみたりするわけですよ。
…まあ、確かに若い頃ってなんか「こうだ」と自分が思ったことは、ソレに向かって一直線で横道なんて思いつきもしなかったりしますよね。
やけに自信ない、とか。
人前に出ると引っ込みたくなる、とか。
注目されるのがいや、とか。
『自分はこれがダメ』ってことに対しては、結構ハッキリ自覚してたりしますよね。
思い込んでるっていうか。
…ただね。思うんですけど。
その行動のパターンは一体どこからきたのでしょーか?
自分?友達?先生?憧れの人?…いやいや、一番身近にいるじゃないですか!
最強の影響力を持つキャラが!(…あ、なんか無駄にテンションあげてるぞ)
…そう。両親、なんです。養育者です。
産まれた時からもう引っ込み思案でした?
産まれてすぐ人見知りしてました?
産まれてすでに苦手なものがありました?
原点のような小さな芽は持って産まれてくると思いますが、それはまだ『これが私だ』といえるほどの大きな特徴ではなかったはず。
成長過程でのぶつかり具合や経験をどう捉えるかの資質や方向性…などなど。
ほんっとに様々な要因が繰り返したり、起きたり、受け止めたりして『今の私』になってるんですよね。
で、話変わって。
赤ちゃんってなんでも模倣しますよね。
人間社会で生きるための知識はないので、それをもっとも身近な養育者をお手本にして成長していくのが手っ取り早いわけですよ。
何も見ていないようでいて、養育者のやることなすこと全部見てるわけです。
養育者の人との関わり方とか、物事の対応の仕方とか。
わかりやすい話しでいうと、言葉遣いですね。
養育者の何気ない言葉を幼児が時と場合を考えずに言っちゃって、恥ずかしいことになっちゃったって話…よく聞きますよね。
あれの行動パターン編です。
言葉があるなら、行動だってあっておかしくないですよね。
…って、考えるとめちゃ怖い(笑)自分の子供に対しての悪影響を考えてしまうぅ…(泣)
いや、何もかもが必然的なんだってことにしておきましょう(苦しい言い訳?)
なのでね。
案外、今の自分の行動の仕方、人との接し方などが本来の自分とはちょっとズレてる可能性もあるんだよってことです。
本来の自分ってやつは、たいてい思春期にムクムクっと出てくると思うんですよ。
そこで芽が出た自分に対して、受け入れていくのか、それとも今までと同じパターンを押し切るのか、その選択でその後の人生が変わっていく…のは想像に難くないですよね。
赤ちゃんから大人になるために、養育者の模倣が必要だった。
そして、自分はもうなんでも自力でやっていける力を持っている。
今度は自分で思うやり方を試行錯誤しながら使っていく。
…ここが、いわゆる思春期・青年期のアイデンティティの確立に繋がると思います。
よく『親の呪縛』とか、親が悪者扱いされることもありますが…そればかりではないと思うのよね。
親だって普通に生きてるだけですよ。自分の親からの影響を持ちながら。
自分にとって「ここはいらないな」という養育者からの影響に気付いて、対応していく…そういう内面の処理(もちろん外面的、社会的対応と併せて)を自分なりに取り組んでいくのが…もしかして『大人になる』ってことなのかな…?
まずは『子供時代からの卒業』ってやつですね。
…と、何も思春期・青年期だけの話じゃないんですよ。これ。
いい年になっても、多分一生かけても養育者の影響に気付かされると思います。
行動パターンって、言葉遣いより意識しにくいから、変化させるのも一苦労だし、ましてや疑問を持つことも少ないんじゃないかな。
どうして自分は人と会う時にこういう態度になるのか?
人見知りするとはいっても…じゃ、どうして自分は人見知りするんだろ?
とか、場面ごとにQ&Aを自分で出していかないと気付かないかもしれないです。
が、最初に書いたけど、ふっと思いついたりもするんですよね。こういうことって。
あれ?これってお母さんと同じことしてるかも…(笑)みたいに。
自分自身で自分を作り上げた気でいても、実際はまわりの人からの影響がかなりあるんだろうね。
ちょっとした気付きや考えるきっかけになれば…と思います。
お読みくださり、ありがとうございます。
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