心に残った言葉

ご訪問、ありがとうございます。

今の自分を作っている要素の
ひとつに言葉があると思うのですが
印象に残っているものって
ありますか?

今回はそんな話を。

厳しさも愛

 

私は学校の先生に対して

特に思い入れもなく、

親しくすることもしない人でした。

そんな私ですが、印象に残っている言葉があります。

それが・・・

「厳しさも愛」

高2の担任の先生が好んで

生徒に向かって言っていた言葉です。

確か、柔道部の顧問をするような

ガタイのいい男の先生です。

持病の痛風が痛くて職員室から教室へ行けないと

プリント(自習)をやらせるようなお茶目な?先生です。

怒る時はもちろん怖くて。

でも、そこを越えて生徒に慕われていたと思います。

で、その先生の座右の銘が

厳しさも愛

何度も聞きましたねー。

クラス目標にもなったことあったような(;^_^A

 

意味は後からやってきた

 

高校生の時は特に意味は気にしてなかったかな。

言葉通りに受け止めていたくらいで、

何かあると面白半分で

クラスメイトと言ってたりする…とかね。

実感として自分に入ってきたのは

子育てをするようになってからです。

子育て…

これほど一個人と真剣に向き合うものなのか

と思ったことがあります。

「ちゃんとした人間を育てなくては」という

気持ちがあるから余計にそう感じたんだと

思いますが、当時はそれくらい

切羽詰まってたんでしょうねー(;’∀’)

で、子供が何かする → 怒る、叱る

の図式があるわけですよね。

怒るほどではないけど

ひと言ふた言苦言をいうパターンも。

で。

ある日、ハタっと気付いたのですが

思わず怒ってしまうのも、苦言を言うのも

こちら側の理想・希望』があるから

その方向にいけるよう伝えるわけなんだ。

思い通りにならない、という気持ちもあるけれど

真剣に向き合っている分

期待も大きいから

きっつーい言い方をしたり、

行動を要求してしまうんだ、と。

受け取る側からすれば

有難迷惑の厳しさかもしれないけど

発信する側からすると

愛情ありき、での厳しさなんだ。

あの先生が言っていたのは

このことなのか…。

そして、人とのやり取りの水面下には

常に相手への期待があることもわかりました。

その期待へのズレがもめ事を起こすことも。

 

厳しさの裏を想う

 

誤解する人はいないと思うけど

厳しくすればいいという話ではないですよ。

ただ、人生振り返ってみるとわかるけど

『あの時理不尽なことがあったから今の自分がある』

そんな経験をした人は数知れずいるはず。

10代くらいではまだまだ経験が少なくて

実感もないので、反感が強くなってしまうけど

学生時代というのは、自己を鍛えるのにいい時期

なんだなと思います。

反発するというのも、

何某か自分なりの哲学や美学があるからこそだし、

先生の言うことを鵜呑みにしないで

自分の頭で考えていければ

素晴らしい経験になり、自分の血や肉にもなる。

そして、もう一歩踏み込んで考えられれば…

『なぜあの人はああいうのだろう?

どういう気持ちがあるからそう言ってくるのだろう?』

そんな視点があれば。

相手への想像力があれば。

言われたことにも何となく理解出来たりしますよね。

納得はいかなくても、理解は出来るので。

そして、それがいつの間にか

自分の中で、考え方のバリエーションのひとつになる可能性がある。

国語の文章題に使われる文章って

普段読み慣れてないのも出てくるけど

何度も解くうちに読み慣れますよね。

例えるなら、そんな感じかと。

 

今も変わらず、厳しさも愛で。

 

厳しさと言うと、悪いことのように感じるかもですが・・・

個人的には必要な時もあるな、と思ってます。

それは人に対してばかりではなく、

自分に対してもこの眼差しは必要なんじゃないかと。

チャレンジする時とか、

スキルアップする時とか。

自分で自分を律しないといけない時がありますから。

どこまでやるか、は程度問題ですけどね。

自分的にはテーマみたいな感じもしています。

・・・あ、こういうのを座右の銘って言うのかな?

ずっとそういうのがない人だと思ってたけど(^^;

 

『そこに在る』と気付きにくいもの

 

愛情にはいろんな形があって

優しいのから、厳しいのまで。

わかりやすいのから、わかりにくいのまで。

どんな人も持っていて

どんな人に対しても発揮できるもので。

当たり前すぎて普段は見えないことが

多いんじゃないかなと思います。

優しくされることが愛情だと

考えがちですが…。

『その人のために』という気持ちは

偽善かもしれないけど

やっぱり尊いことなんじゃないかな。

誰だって、わざわざ憎まれたくないし。

それでも、と覚悟を決めて厳しいことを言うのなら

それは『愛』と言えるんじゃないだろうか。

 

『厳しさも愛』

それは誰に対して出るものなのか?

その人のことを真剣考えているという

証のひとつ。

 

 

 

お読みくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

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