焦りとか、閉塞感とかの良さ

ご訪問、ありがとうございます。

毎日の繰り返し。

それがとても大切なことだとはわかっているけど。

ある日フト誰かを見て

強烈に「今の自分は退屈でつまらない存在だ」と感じたことはありませんか?

創作してると…(;’∀’)結構あるあるなのではないでしょうか。

 

たとえば、才能に

 

ある程度、自分なりのやり方が出来ていて

それで毎日をこなしていたところに

同じようなことしてるのに

とっても素敵に見える存在に気が付く。

「ああ、いいな。羨ましい…」

最初はそんな軽い感じかも。

でもその人を見ているうちに

自分との比較が無意識に始まってて…。

「同じことしてるのに、この差は何だろう…」

相手の見える部分がとても眩しく見えて、

自分のものが色あせて見えてきちゃうんですよね。

例えば、感性に

 

自分なりに今まで四苦八苦してやってきた。

自分なりのスタイルが出来ている。

それが暫く続いていて、自分でも慣れてきた。

そんな頃に。

ふいに見つけた人。

「え、なんでこんな風に表現できるんだろう?」

そんな風に思う人が現れた。

しかも、凄く新鮮に映る。

そのまま自分を見ると、安定しているかわりに

つまらないものに見えた。

自分のスタイルを確立した、といえば聞こえはいいけど。

結局のところ、安全策を取っているだけじゃないのか?

 

焦る、焦る、焦る…

 

上記ふたつの状況を出してみましたが。

創作してると、やっぱり楽だからってことで

今までの延長で作業しちゃうんですよね。

「自分はこの感じが好きだから」

「これを追究していきたいし」

「この描き方を極めたい」

もちろん、こういう気持ちや方向性は大切です。

でも、ある日フト、自分の作風がつまらなく見えるのも真実なんですよね。

それは自分にはない才能を持つ人を見た時とか、

やってみたかったことを簡単にやっている人を見た時とか。

同じことをやってることに自分で飽きて来た時とか。

きっかけは様々だと思うのですが。

この時感じる

何だかわかんないけど、どうにかしたい

そんな気持ち。

実は進化するためにとても大切ですよね!

 

たまには突然の出会いを用意してみる

 

その焦りや閉塞感。

これは自分からのSOS。

歯ぎしりするほど、嫉妬するほどの苦しい気持ち。

感じている時はとてもしんどいのですが

別の見方をすると、これがないと進化、進歩するタイミングがわからないと思いませんか?

だから、これを足掛かりにして動くことが大切じゃないかなと。

例えば、いつもネット上で絵を見ているのなら

実際に美術館へ足を運ぶ。

図書館で画集を見る。

…など、ネット上でも最近はおすすめで出てくるけど

そう簡単にわざわざ見ないですよね?

だから、「たまたまそこにソレがあった」状態になるように行動するのがいいんじゃないかと思います。

…私、音楽ではよくやるんですけど。

新しい人を探す時、

今聞いている人と関わっている人を聞くとか、

好きなミュージシャンの方が出ている

複数人の出るライブに行ってみるとか。

あえて、自分の初めてさんに会わざるを得ないように仕向ける。

一番気持ちが入りやすいのは、やっぱり生、ライブで見た時かな。

その人自身の存在を直に感じておくと

後で動画で探したりして、案外音源買ってたりします。

なので、絵も好き嫌いがどうしてもあるものだから、

自分から求めると同じようなのになりがちなので

そうならないためにも実際に眼にする場に行くといいかと思います。

その眼にしたものすべてを取り入れるのではなく、

見ることでとりあえずのインプットをして

いつかそれが無意識的に技術として出てくるんじゃないかなーと期待してます。

…私はね(;^_^A

脳って見たものすべてを記憶してるっていうからさ。

あ、後はやっぱり自作を卑下しない事。

ここまでの道のりは当然苦労しているわけなので、

そこまでの労力は大切にしないとね。

そのうえでさらに良くするには、という意味での焦りなのだから。

ここをはき違えると…苦しいからね。

パワーだけでいけるのは最初だけ。

後は安定と焦りの繰り返しで

自分をどこまでブラッシュアップできるかどうか。

そういうことなんだろうなーと思います。

…さて、私は出来ているのでしょうか???

 

 

お読みくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

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