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ふとした時に頭に言葉が浮かぶことがあるのですが
今日はこんな言葉でした。
『そういう状態、状況がソコにあるだけ』
良いこと、悪いこと
この浮かんだ言葉には前置きがありまして、
それがこの目次にも表した通りです。
『良いことも、悪いことも、そういう状態・状況が
あるだけのこと』
…こんな感じの言葉が浮かんできました。
こういうのって、一体どこからやってくるんでしょうね?
無意識…なのかな。
潜在意識の部分。
フロイト先生曰く、顕在意識と潜在意識の間には
『前意識』なるものがあって
潜在意識は自分ではわからない部分だけど、
前意識はわかることもある部分…
(そんな説明でよかったかな(;^_^A?)
その部分から上がってきたものを
顕在意識が言語化しているのかなー?と
私は思っています。
で、あの前述した言葉。
反芻した時に「あー、そうなんだよなぁ」と
納得しました。
そもそも、良い・悪いの判断は
その人の価値観に由来するものですよね。
出来事というのは、ただ起こっているだけだし。
状況だって、自然とそうなっただけだろうし。
良いという判断をした出来事が起きた。
悪いという判断をした状況になった。
…そういうことなだけ、なんですね。
見つめるのは誰?
それで、一体誰がその状態・状況を判断したのか?
……あなた、です。
他の誰でもない、自分なんですね。
極端な話、大怪我して命が危ない時でも
それを良しとするならば、
心では「いや、よかった。こうなって」と
思うわけですね…(;^_^A
それとか、周りの人から褒められても
それが悪いことと思うなら
「いや、なにこの最悪な状態!」って
なるわけですよ…(-_-;)なんか哀しいな、書いてて。
あ、でも、まさにそうなんですよね。
自分自身の捉え方次第
結局、自分がどう物事を捉えるか、考えるかで
生きやすさが断然違ってくると思うのです。
例えば、転んじゃったとか、怪我して痛いのだって
その時のその経験は悪いことだって思うけど、
家族や他の人から大事にされているのが
実感としてわかったりしたり、
同じような怪我をした人の気持ちに寄り添うことが
出来たり…と。
悪い出来事だと思っていたことでも
見方や時期やタイミングなんかで
良い部分も含まれていることがわかる。
このように出来事には良いことも悪いことも
含まれているんだから
ある意味公平というか…平等というか…
自然というか…ただ『ある』ことなのかなと
思います。
ん?よくわかんない?
わかんないけど、わかんないなりに考えるのが
大切なので、こんなもんでお開きにします(;^_^A
あ、これはあくまでも
個人の内面でのお話ですので。
あしからず。
お読みくださり、ありがとうございます。