自分にかけるブレーキが一番わかりにくい。

ご訪問、ありがとうございます。

普段は自分の感覚に従って動いているつもりでも

何となくフラストレーションが溜まることってありません?

それ、もしかしたら無意識に自分の望みとは違う方向に

自分をしむけているのかも…。

と、いうのもですね(;’∀’)あれ?って思ったからなんです、自分が。

日々やるべきことを繰り返す、そんな日常だけど、

それでも自己肯定感をあげるためにも

自分の「ふと思ったこと、やりたいこと」なんかを

日常の差し込めるところに突っ込み続けて

学生の頃よりはよくなってきたな、と思っていたのです。

が、結構、縛りがあることに気が付きました(´;ω;`)

 

*****

例えば、娘ちゃんとのお出かけの時。

何時までに帰る、とか。

ランチはこれくらいで、お茶しない、とか。

一応どんな人にもルールがあると思うのですが、

それを超えることをするってなると…足踏みしますよね。

「あんまりのんびり出歩いてちゃダメ」

「疲れててもカフェには入らず、ペットボトルで」

…と(まだまだ細かく見ればたくさんあると思う)

無意識に浮かんでくる(聞こえてくる)声があるわけです。

この声にツッコミをいれていくと、最終的には罪悪感になると思いますが…。

そんでもって、『そういうことをしてはいけない自分』という感覚もあるんだと思います。

で、この批判的な意見を誰が言っているのか?ですが。

…自分です。

それ以外誰でもない。

現実に誰かに言われたことだとしても、

そのタイミングでその言葉を思い出したのは自分だし、

その言われたことを「そりゃそうだ」と受け入れたからこそ

後ろめたさを感じるのも、自分です。

たいていの批判は、いわゆる世間的な常識ともイコールなので

単なる常識に縛られていると思いがちですが…自分なんですよね。

哀しいことに(-_-;)

 

*****

自分の中に、

子供の視線の自分

オトナの視線の自分

一個人を超えた視線の自分

人類愛に根差した自分なんかもいるのでしょう。

意識する、しないに関わらず、自分の中には様々なバージョンの自分があるので

当然、常識を振りかざしてくる輩もいるわけです。

で、それが聞こえないけど、届く声として存在するもんだから

何かいつもと違うことをしようとする時に、なんとなくモヤモヤする…。

で、迷って葛藤するんだけど、

「やっぱり、やめよう」となる。

だって、楽だからね。選び慣れてるっていうか(;^_^A

でも、本当はやりたいから、未練たらたらだし、やっぱりモヤモヤ。

簡単に言うと、そんな感じでしょうか。

 

*****

『自分のことを大切にする』

『自分の本当の望みを叶えてあげる』

…そのつもりで行動していても、まだまだ幾層ものトラップがあるかも。

まだ、現時点では気付いてないだけで。

まさに玉ねぎみたいに、一枚むいたら次の皮が。

さらにむいたら、また次の皮が…の繰り返し。

それがエンドレスに続くんだろうね…(-_-;)

 

あ、ちなみに。

現段階で気付いてることが、その人にとってのベストなので、

気付けない事がダメな事ではありませんよ。

つい『出来ていない事』にフォーカスしてしまって

自分を追い込んでしまうと、さらにややこしくなるので

お間違えの無いように~。

 

 

お読みくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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