ご訪問、ありがとうございます。
普段は自分の感覚に従って動いているつもりでも
何となくフラストレーションが溜まることってありません?
それ、もしかしたら無意識に自分の望みとは違う方向に
自分をしむけているのかも…。
と、いうのもですね(;’∀’)あれ?って思ったからなんです、自分が。
日々やるべきことを繰り返す、そんな日常だけど、
それでも自己肯定感をあげるためにも
自分の「ふと思ったこと、やりたいこと」なんかを
日常の差し込めるところに突っ込み続けて
学生の頃よりはよくなってきたな、と思っていたのです。
が、結構、縛りがあることに気が付きました(´;ω;`)
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例えば、娘ちゃんとのお出かけの時。
何時までに帰る、とか。
ランチはこれくらいで、お茶しない、とか。
一応どんな人にもルールがあると思うのですが、
それを超えることをするってなると…足踏みしますよね。
「あんまりのんびり出歩いてちゃダメ」
「疲れててもカフェには入らず、ペットボトルで」
…と(まだまだ細かく見ればたくさんあると思う)
無意識に浮かんでくる(聞こえてくる)声があるわけです。
この声にツッコミをいれていくと、最終的には罪悪感になると思いますが…。
そんでもって、『そういうことをしてはいけない自分』という感覚もあるんだと思います。
で、この批判的な意見を誰が言っているのか?ですが。
…自分です。
それ以外誰でもない。
現実に誰かに言われたことだとしても、
そのタイミングでその言葉を思い出したのは自分だし、
その言われたことを「そりゃそうだ」と受け入れたからこそ
後ろめたさを感じるのも、自分です。
たいていの批判は、いわゆる世間的な常識ともイコールなので
単なる常識に縛られていると思いがちですが…自分なんですよね。
哀しいことに(-_-;)
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自分の中に、
子供の視線の自分
オトナの視線の自分
一個人を超えた視線の自分
人類愛に根差した自分なんかもいるのでしょう。
意識する、しないに関わらず、自分の中には様々なバージョンの自分があるので
当然、常識を振りかざしてくる輩もいるわけです。
で、それが聞こえないけど、届く声として存在するもんだから
何かいつもと違うことをしようとする時に、なんとなくモヤモヤする…。
で、迷って葛藤するんだけど、
「やっぱり、やめよう」となる。
だって、楽だからね。選び慣れてるっていうか(;^_^A
でも、本当はやりたいから、未練たらたらだし、やっぱりモヤモヤ。
簡単に言うと、そんな感じでしょうか。
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『自分のことを大切にする』
『自分の本当の望みを叶えてあげる』
…そのつもりで行動していても、まだまだ幾層ものトラップがあるかも。
まだ、現時点では気付いてないだけで。
まさに玉ねぎみたいに、一枚むいたら次の皮が。
さらにむいたら、また次の皮が…の繰り返し。
それがエンドレスに続くんだろうね…(-_-;)
あ、ちなみに。
現段階で気付いてることが、その人にとってのベストなので、
気付けない事がダメな事ではありませんよ。
つい『出来ていない事』にフォーカスしてしまって
自分を追い込んでしまうと、さらにややこしくなるので
お間違えの無いように~。
お読みくださり、ありがとうございます。